昨今、林業の成長産業化を目指すべく、政府を中心に様々な法整備やあらたな制度が構築されてきておりますが、実際にそれらを遵守あるいは活用する林業経営体の方々の意識や組織体制はまだまだ追いついていないように思います。本来、競争の厳しい産業においては、あらたな法や制度等が導入されるとなると直ぐにその内容を検証し、競って対応策を考え、場合によっては組織の体制や仕組みまで変えるなど、勝ち抜くために多大なエネルギーを注ぐものだと思いますが、林業の場合は他の産業と事情が異なります。材料(資源)の所有者、収穫(伐倒・運材)者、製材・加工者、販売者等の多くが、それぞれ異なる経営体からなっており、特に所有者は個人、収穫者の多くは地域密着(限定)型の中小企業や森林組合が担っており、他の産業と比べて競争の原理が働きづらい業態なのだと思います。
また、林業経営体の多くが山村地域にあり、常に過疎化に伴う人材不足に悩まされています。林業というのは年間を通じて山に入り、木を伐り、木を伐り出す道を作って運び出す仕事をするわけですから決して楽な仕事ではありません。加えて所得(賃金)は平均的には一般のサラリーマンのそれと比較しても低いというところが多いこともあり、働き手不足は慢性化しています。
そして、何より残念なことは“林業は補助金がなければ成り立たない。そんな状況で経営改善や組織改革などする意味が無い”と思い込んでしまっている林業経営体の経営者が少なからずおられるということです。組織のトップがこのような考えでいるうちは、林業の成長産業化は夢の夢にすぎないように思います。

一方で、そのような状況下においても早々に組織改善や改革に取り組み、特に若い人達が中心となって地域産業を支えるほどまでに成長させている林業経営体も存在します。そのような経営体は、経営者がしっかりと“経営”をしているからこそという一言に尽きるのかもしれませんが、私が見る限りそれらの経営体は共通する二つのポイントを抑えているように思います。
先ず一つは、組織の中における「働きやすさ」の整備です。働きやすさとは、待遇(給与)の改善や安定化、安全装備等の支給、福利厚生の充実、休暇・休養制度、レクリエーション等従業員の心配や不安をできるだけ排除した職場環境を整備することです。勿論、待遇を急に良くすることは無理かもしれませんが、例えば雨天で現場作業ができない場合でも他の業務に回ってもらい、出来高ではなく月給制に変えて生活の安定を図るようにする。あるいは一定の休暇制度を導入し家族サービスができる時間を増やすなどいろいろ考えられます。ただ当然、これら全てを一律に改善できるものではなく、自分達にとって必要な(働きやすくなる)こととは何かを検討し、可能な範囲で導入するということです。
“働きやすさ”はすでに多くの一般企業では検討・改善されていることであり、若手や家族持ちの人材の確保や継続的な従事にもつながっています。今まで「働きやすさ」を追求することなどできない、やれないと思い込んでいたいくつもの林業経営体が改善しはじめているのも事実です。それが経営であり経営者の役割だと意識を変えたからこそ実現したのだと思います。
次に「働きがい」の提供です。実は前記した「働きやすさ」の整備には当然ながら限界があります。それは大方の従業員も理解できるはずです。ただ、人は面白いもので「働きやすさ」を提供すると一時的に不満を抱かなくなりますが、すぐにその状況になれてしまい、「もっと○○であれば・・・」という思いに駆られていくものです。その時こそ重要になってくるのが「働きがい」です。「働きがい」とは、ある程度の責任を持たせる仕事をしてもらうことです。責任を持つことを嫌う人であれば“期待”という言葉に置き換えてもよいかもしれません。その上で、それを達成するための目標を持たせ、それを経営者(上司)と共有し実行させ、その結果(成果)を認(褒)めてあげることです。人は他者に認めてもらうことで達成感や満足感を抱き成長していきます。また次のステージに上がるための動機付け(モチベーション)にもなります。勿論うまくいかないこともあると思いますが、その時は何故うまくいかなかったのか、どうすればうまくいくのかを自分で考えさせることが大切です。(それが分かることも達成感になります)
実は「働きがい」は「働きやすさ」より重要だと言われています。今日の林業経営体においては、どちらも検証・整備されていないところがある一方で、「働きやすさ」だけ改善を試みているところも少なくありません。ただ、前述したように「働きやすさ」の追及には経営的にも人間の心理的にも限界があります。成長している林業経営体は、その時の経営体の業況、事情に沿った「働きやすさ」と「働きがい」のバランスを考えながら整備しているように思います。

林業の成長産業化を現実のものにするためにも、その原動力となる林業経営体が何を大切にして組織づくりを行なっていくのか。「働きやすさ」と「働きがい」と言う視点から見直していただきたいと思いますし、様々な場面で当社からも働きかけていきたいと考えております。
昨年度に引き続き、今年度も2月16日(土)に「緑のボランティア活動助成セミナー2019」が開催されました。昨年度は、NPO法人森づくりフォーラムとの共催で2日間実施しましたが、今年度は、公益社団法人国土緑化推進機構の単体事業ということで1日のみの開催となりました。本セミナーの目的は「緑の募金」を活用し、新たな視点で多様な方々を取り込みながら森づくり活動に取り組み、成果を上げている団体の事例発表と情報交換を行い、森林ボランティア活動の拡大と推進に資することと、今後「緑の募金」の活用を考えている方々に対する助成プログラムの説明と個別相談の場を設けることです。
昨年度のセミナーでもそうだったのですが、ここ数年、森づくり活動を行う団体の活動内容や、参加する方々に大きな変化が見受けられるようになりました。私が森づくり活動に関わり始めた15年ほど前は、団塊の世代以下のいわゆるおじさん達が週末に荒れた森林や里山に入り、汗水たらして間伐や林内整備を行うという活動が主として行われていました。それはそれで森に対しても自分達に対しても意義があり、今でも継続している団体もあります。その一方で、木が成長し太くなることで、チェーンソー等の特殊な機械を使用しなければ間伐が困難になったり、参加者の高年齢化による体力の低下や、ケガ・事故の増加等様々な状況により、以前より簡単に木を伐るという活動に参加しづらくなってきているのも実態としてあります。

そんな中、昨今増加してきているのが、森のようちえんや木育、森林セラピー等、いわゆる森林や里山整備を主としない、森をツールやフィールドとして活用する活動を行なっている団体です。森での遊びを通じて子供の成長を促したり、親子や友達とのつながりを再認識したり、非日常での新たなコミュニティづくりのために森に入り、森を使うことで結果として森の整備に貢献している団体です。そして、その団体の中心にいるのが女性や子供とその親たちなのです。昨年も今年も、セミナーの活動報告の中心にいる人は女性です。だからと言ってはいけないのかもしれませんが、その活動内容も報告も楽しそうで、とても生き生きしていますし、何よりパワーが感じられます。

私は、このような活動を行う団体がもっと増えてくれば良いと思っています。「緑の募金」に寄付をしている人の中には、やはり森林や里山整備を主とする活動や団体に募金を活用してもらうべきだと考える人もいるかもしれません。ただ、今や都会だけではなく地方や山村地域に行っても、人やその生活の中で、森林がとてもかけ離れた存在になってしまっており、森林の問題への関心が薄まっている実態を鑑みると、先ずは森に入ってもらうこと、森を知ってもらうことが大切です。森林や里山整備を主としない活動であっても、そこに参加することで何かしらの“自分にとっての大切なこと”が発見できれば、森の価値にも必ず気づくはずです。それがきっかけとなり森への関心が高まれば、そこからまた森づくりに通じる新たな活動が生まれてきます。そう願って、私達は、これからもそのような活動のお手伝いをしていきたいと思います。
ここ数年、企業、行政関連団体、教育機関等様々な分野の事業体による不祥事や事件(事故)が増えてきていると感じているのは私だけでしょうか?もちろん、報道は良いことよりも悪いことを取り上げる傾向が高いということは承知しておりますが、それを差し引いたとしても、それだけ取り上げるネタがあるということは事の重大さの大小はあれど、やはりそれだけの不祥事や事件が起きているのは事実なのだと思います。
その中で、特に社会的影響力の大きな事業体の多くは何度となく謝罪会見等を開き、発生の原因やその対(応)策について説明していますが、大方最後は「今後は、このようなことが起きないためのチェック体制を強化する」、「新たなチェックシステムを構築する」、「第三者による改善対策委員会等を設立する」etc・・・等“体制改善(強化)”や“新たな管理システムの導入”を以ってことの解決にあたると言って会見の幕引きをすることが多いように思います。

一見すると、“再発防止のため対策が取られるのであれば大丈夫”と安心、納得したいところではありますが、昨今は、取られたはずの対策がほとんど機能せず、再発あるいは新たな(もっと根深い)問題が発覚することも珍しくなくなってきているように思えます。
でも、何故そんなことが起きるのでしょうか?
そもそも経営陣にそれだけの管理能力が無かったということなのでしょうか。あるいは事業体の規模が拡大したことで効率重視(=コスト削減)が常に求められ、また責任の所在が分散し、全体を管理、ハンドリングできなくなっているということなのでしょうか。
いずれにしても、再発を防止するための新たな”体制“や”仕組み(システム)“をつくれば、不祥事や問題は起こらないはずだという経営陣の強い思い込み(すがり付くような希望が)あるように思えます。
ただ、いくら万全を期した体制や仕組みを構築しても、それを運用・管理する能力が足りなかったらどうでしょう。
「いやそんなことは無い!うちには優秀な部下がたくさんいる」と信じたい気持ちはわかりますが、その体制や仕組みを十分に運用・管理できるような教育を経営者自身が行ってきたのでしょうか?あるいは、少なくともしっかりと見続けてきたのでしょうか?

事業体にとって一番大切な人材育成(教育)も、誰かがつくった体制や仕組みの中で行われてきたのであれば、日々変化する社会動向の中で、その事業体にとって本当に必要な能力を持った人が育成されているのだろうかという猜疑心を持つこと、あるいはそれを確認することが経営陣には必要なのではないでしょうか?
「そんなこと、小さな事業体の経営者であればできるかもしれないが、大所帯の事業体の経営者には他にやることが山ほどある!」、「社内にできる人材がいなければ他から引っ張ってくればいい!」と反論する方もいるかと思いますが、人は知識や経験、技術の有無だけではなく個の事情や感情で心が様々な方向に揺らぐものです。その心の揺らぎが(故意・過失に関わらす)判断を誤り不祥事や問題を起こしているとも言えます。事業体(組織)を機能させていくためには体制や仕組みづくりは勿論必要です。故に、理想的な体制や仕組みを掲げ、そこに無理に人を括りつけるのではなく、その事業体(組織)の中でどのような能力を持った人が必要なのかということを確認し、そのための“成長が見える人づくりのあり方・かたち”を構築することが重要なのだと思います。経営陣が心から自分達(個人)を大切に育てようとしていること、システムよりも人づくりを重視していることが実感できる事業体になれば、不祥事や問題は減っていくものと思います。人材不足である時代だからこそ、“人づくり”とはどういうことなのか真剣に見直す必要があるのです。

10月22日(月)から5日間、フォレストマネージャー研修で広島県広島市に滞在しました。森林・林業に係る研修の多くは都心(座学が中心)か地方の山間部で行われるのですが、本研修(西日本在住者が対象)はここ数年、3日目の現地研修(同県の廿日市市で実施)を除いて終日広島市の中心部で行っています。広島市で実施するのは、対象となる研修生の交通の便、研修会場、宿泊施設、現地研修の受け入れ先事業体有無等の諸条件が揃っているからです。

この広島での研修に参加すると毎回思うのが、広島というところは街や人に活気があるということです。昨年も今年も広島カープのリーグ優勝と日本シリーズに向けての応援で盛り上がっている時期だからという感も当然ありますが、それを含めて「街を盛り上げよう」、「それをみんなで楽しもう」という“地熱(地元を思う熱)”のようなものが街の方々を観たり接したりする中で感じられたのです。それを地元の方に尋ねてみると、「一時的なカープ熱でしょ。でもそれを楽しもう、盛り上がろうという気持ちは確かに強いかもしれない。それ以外ないから・・・」という答えが返ってきました。そうなのか・・・でも、そこが良い、羨ましいと素直に思うのです。ある程度の大きな街の色が一色に染まり、目に見える範囲の街全体が活気に包まれる感覚は、普段東京で暮らしている私にとって新鮮であり、また懐かしくもあります。私は東京が嫌いなわけではありませんが、このような地熱や活気を感じることはほとんどありません。私に限らず東京に住む多くの方々はいわゆるよそ者が多く、根っからの地元意識をもっている人は一部の方々です。勿論町内会や自治会、商店街等比較的小さな規模の“地熱”をもったコミュニティは各地にありますが、その規模のコミュニティにはなかなか新参者は入りにくいものです。
おそらく東京という巨大な街は、個の欲求や事情を優先し、それを個や小さなコミュニティで満たされるコトやサービスがあふれているので、地熱や活気をあえて持たなくてもそれなりに充実した暮らしができてしまうのかもしれません。(どれだけの人が本当に満足のいく暮らしができているかどうかはわかりませんが・・・。)
私は、前記した広島の方がおっしゃった「それ以外ないから・・・」という言葉はとても大切なことだと思っています。盛り上がるものが無いからそれを自分たちが主体になってつくり、さらにみんなでそれに乗っかり楽しんでしまおうとすることこそが活気ある街をつくることにつながっていくのだと思います。そして、それが出来るか否かは街の規模にも大きく関わってくるのだと思います。また、「それ以外の」“それ”つまりは熱を上げさせるモノ(コト)が有るか無いかにもよります。“それ”とは、広島の場合はカープのようなスポーツチームであり、その他の街であれば地元の祭り、その他の参加型イベント等が“それ”にあたります。

ここで広島が良くて東京は駄目だということを言うつもりはありません。そもそもどのような街が良いのかの価値観は人によって異なります。ただ、地熱や活気を感じられる街はとても魅力的ですし、そこにいる方々の幸福度も高いのではないかと感じます。逆に言えば、街づくりには街の規模とそこにある資源(モノやコト)を見据え、その街で暮らす(社会活動をする)人々の手で、地熱や活気をどう創出させていくのかが重要なのではないかと思います。
これからまた、地方出張が続きいろいろな街に出かけます。地熱と活気という視点から街を観る楽しみが増えました。それに気づかせてくれた広島で出会えた方々に感謝です。
 平成10年12月に施行された特定非営利活動促進法を受けて、森林保全や整備に係るNPO法人が多数誕生しました。当時は、団塊の世代の方々の早期退職や定年退職後の社会活動の場を作ろうという働きがけが多方面であったということも、多数誕生した背景にあったと思います。ただ、その時の活動の多くは手鋸やナタを持って山林や竹林、里山に入り、もっぱら額に汗かき間伐や下刈り等の整備を行うというものだったと思います。
あれから20年経った今日、もちろん当時のように間伐や下刈りの整備を続けている団体もありますが、活動の目的や幅、そして参加する方々の層がずいぶんと広がってきていると思います。森のようちえんや森林セラピー、地域コミュニティの再生等、森林整備を主たる目的にするのではなく、教育や健康増進、地域や人間関係の醸成を主の目的に、森林をそのフィールドやツールとして活用する活動も各地で多く見られるようになりました。20年前はおじさん達の活動フィールドであった森林が、今やお母さんと子供達、女性や若者、さらには障害者が集うフィールドへと変わってきています。
 他方、林業の担い手についても、その層やその方々の意識がここ10年で変わってきたと感じています。未だに3K(危険・汚い・きつい)という印象が払しょくしきれない林業ではありますが、高性能林業機械やICT等の導入、さらには自然の中で達成感のある仕事に就きたいという若年層の参入により、森林組合や林業事業体の経営や働き方に対する意識、体制が徐々に変わってきています。その背景にある大きな要因の一つに“教育”があると私は考えています。それまでは現場での一作業者として、それに必要な技術のみを教えていたのが、制度改革等に伴い、組織やチームで生産性の向上を目指すためのキャリアアップを踏まえた技能者としての知識や技術を学ぶ教育システムを導入したこと、そして学ぶ意欲のある若年層が増えたこと、さらには10年前には若年層であった方々が、今日においては組織の中核になり、組織運営や経営に携わるようになったことが影響しているのだと思います。また、それはまぎれもなく林業事業体引いては林業の成長と発展につながってくることだと言えます。私はこの傾向は今後も続くと考えています。厳密に言うと、成長・発展する事業体だけが残り、それが出来ない事業体は淘汰、消滅していくということなのかもしれません。
 森林の多様な価値が見直され、活用の仕方の幅が広がったといっても、また林業の成長産業化を目指していくにしても、まだまだ一部の方々の関心のよりどころでしかなく、もっと多くの国民に森林の整備や有効活用の必要性と重要性を理解していただかなければ、日本にある森林資源は守られていきません。そのために必要なのは、「啓蒙・啓発」と「教育」、そして「動機付け」です。それらを一つずつ着実に実施していくことで、さらなる10年後にはまた新たな成長と発展が見られると思います。これまでも、これからも、それを信じて進むのみです。