今やどの分野の産業においても大きな問題となっている人手不足ですが、第一次産業である林業においては、その従事者が40年前の3分の1程までに減少しており、産業としての存続さえも危ぶまれています。
それでも、環境や地域に貢献する仕事がしたい、自然に囲まれながら体を動かす仕事がしたい、コロナ禍を経験したことで働き方を変えたい等、様々な理由で林業に関心を持つ方が増えてきているという声も聞こえてきます。
そのような方々をどのようにして地域の林業経営体に呼び込むか、それをテーマとしたシンポジウムや研修会に呼ばれることが昨今は多くなりました。

その中で先ず話題にあがってくるのが、求人方法の在り方についてです。
これまでの林業における求人方法は、地元のハローワークや既に従事している社員あるいは信頼できる人脈からの紹介が多かった(実際にそれしか無いと考えている方も少なからず存在する)ようですが、昨今は有料の求人サイトの利用、森林の仕事ガイダンス等のイベントへの参加、農林高校や林業大学校(アカデミー)への直接営業等、様々な手を使って採用にあたるところが増えてきました。
採用が比較的うまくいっている経営体に共通しているのは、自社のホームページを作成し、その中で経営ビジョンや業務内容、人材育成体制、地域社会とのつながり、実際に働いている人の様子等を働き手の目線で紹介しているという点です。中にはブログやインスタグラムを行っているところもあります。今は地域に限らずSNSの時代ですから、気になる就業先が見つかれば先ずは検索してその実態や状況を確認するという働き手の心理を理解しているという点で、ホームページを作成して自組織をしっかり広報できていることが応募の候補先になるというのは自然な流れなのかもしれません。

では、ホームページを作成すれさえすれば良いかというとそうではありません。
それ以前に、自社の置かれている地域(生活環境)の特性(特に強み)を検証し、それをしっかりと紹介できるようにすることです。地域特性によっては求人方法にも工夫が必要になってきます。
例えば、夫婦二人(先々は子供も育てたいと考えている)で移住も兼ねて就業先を探す場合は、仕事場は山林であっても生活する場所は比較的町の中(スーパーマーケットやホームセンター、病院、学校等がある程度近場にある環境)が良いと考えるのが一般的だと思います。その場合、IターンやJターン組も採用対象となってきます。逆に、生まれ育った場所の近くで、学校の先輩等が定着して働いている経営体であることを優先したいと考える高卒生を採用したいとなれば、地域社会とのつながりや先輩方の働く様子をしっかりと紹介することが大切になってきます。
また、誰でも良いから働いてくれさえすればよいという考えもよくありません。就業した会社で自分はどのような仕事をさせてもらえるのか、将来どのような能力が身につけられるのか、その経営体に入ればどのような楽しいことがあるのか等、何らかの希望が持てなければ、あるいは楽しく働いている自分の姿をイメージできなければその経営体に魅力を感じるはずもありません。
他にも求人や採用方法にあたって留意しなければならない点は多々ありますが、正直これまでの林業界では時代に沿った対応が遅れているのが実態だと感じています。
林業は経営規模の小さな経営体が多く、また地元密着意識が強いということもあり対応しづらいということもあるのかもしれませんが、実際に規模に関わらずそれを乗り越えて対応している経営体が増えてきているのも事実です。今後はそれらの事例等を参考に、多くの林業経営体の経営者が自組織の強みを活かした求人・採用方法の改善に向けて動き出せば、少なからず担い手の確保につながっていくものと思います。
昨年度ファシリテーターとして参加した、鹿児島県の地域林政アドバイザー育成研修に本年度も参加してきました。
昨年度は、スケジュールの都合で前後期3日ずつあった研修の後期の最終日のグループワークのみの参加でしたが、今年度は早めにスケジュールを確保できたおかげで全行程参加することができました。昨年は、さすがに研修最終日のみの参加でしたのでアウエー感たっぷりで、研修生との溝を埋めるのに手いっぱいでしたが、今年度は研修生とも早めに打ち解け、研修生目線でのファシリテーションが大方ではありますができたと思っています。
大方と言うのは、事務局(鹿児島県森林組合連合会)や講師との事前打ち合わせが十分とは言えず、研修や現地実習当日にはじめて知るようなこともあり、場当たり的な対応になってしまったという反省があったからです。それでも、事務局や講師の大半の方は研修の運営や講義自体には慣れており、それによって助けられた部分も大きいと思います。

鹿児島県の方々からすれば私のみが外部の協力者であり、しかもファシリテーターというあまり取り扱ったことのない立場の者を参加させたことに戸惑いもあったのかもしれません。それでも、ファシリテーターとはどのような者であるかは掴んでいただけたのではないかと思います。
これを機に、鹿児島県内でファシリテーターを育成することに繋がれば、講師(鹿児島県庁の講師を含む)や事務局のレベルが高いだけに、さらにはいくつになっても、あるいは立場が変わっても先輩が後輩を大事に育成していくという鹿児島県独特の風土も後押しして、もっと質の高い研修等ができるようになっていくのだろうと思います。
そのように思えたのも、おそらく前後期計6日間を研修生や事務局、講師と時間を共にし、懇親会等も含め多くの方々と意見交換等ができたからだと思っています。やはり対面でたくさんの情報交換をすること、互いに何が共有できていて、また何ができていないのかということに気付き確認し合えたこと、そしてその場で協力し合いながら臨機応変に対応できたことが要因だと考えます。
まさに、対面で互いにその場にいたからこそ成し得たことだと思います。

当社では、もう何年も継続して取り組ませていただいている人材育成事業もあれば、単発的に依頼を受ける事業もあります。ただ、依頼を受けさせていただいたからには、いわゆる「こなし仕事」にはしない、手を抜かないということをモットーにしていますので、事業対象者や研修生はもとより、依頼された先様にも何らかの成果を残し、またその先に繋がるような提案もしてきましたし、これからもしていきたいと思っています。
そのためにも、事前に相手や相手の置かれている状況を出来る限り把握し、また事業の取り組みの過程においてもそれらを確認・検証・改善しながら事業を進められるよう努めていく所存です。

改めて、そのことに気づく機会をいただいた鹿児島県の皆様に感謝します。
当社がここ数年来受託している「緑の雇用」事業のフォレストマネージャー(林業の現場技能者として10年以上のキャリアを持つ者を対象とした)研修の後期研修が始まりました。前期研修はオールリモートで実施した研修も、後期研修は対面でないと効果が期待できない科目を中心に構成された実集合研修となっています。
また、後期研修の特徴の一つとして、過去にフォレストマネージャー研修に参加された研修生をゲスト講師に迎え、フォレストマネージャーとして取り組んできたことや、苦労・工夫してきた点などを研修生と一緒にディスカッションする科目を設定しています。現役かつ先輩フォレストマネージャーの取り組みを聞きつつ、皆でディスカッションすることは研修生にとって大きな意義があると思います。

ゲスト講師として迎える方々には共通点があります。それは、その方が研修生として参加していた時から林業という仕事に誇りと志を持ち、やるべきこと、改善すべきことを自ら考え、足りないものは学び、常に向上心を以て行動してきた方であるということです。本人はそれを特段意識していなくとも、そういう方か否かは受講態度や言動でわかります。
毎回研修には30〜40名ほどの方が受講生として参加しますので、すべての方を均等に観察できるわけではありませんが、必ず何名かそういう方がいますし印象にも残ります。そういう方は覚えておいて、3〜5年後に声をかけさせてもらっています。研修終了後も絶えず自ら考えて行動し続けていますので、しばらくしてお会いするとやはり想像以上に優れた人材になっています。
また、偶然別の仕事で一緒になった現場技能者で、『この方、優れた人だな』と思う方に出くわす時があります。以前会ったような・・・・なんて記憶をたどっていると、「近藤さん覚えていますか?〇年前にフォレストマネージャー研修に参加していた〇〇です。」と声をかけてくれます。
私が覚えていなかった、見逃していただけで、やはりその言動から何年もの間自ら考えて行動してきた軌跡がわかります。

その一方で、久々にお会いして話をしても「この人変わらないなぁ」という印象を持つ人もいます。良くも悪くも変わっていないのですが、仕事における成長度として観ると、変わらないというのは成長していないという捉え方もできます。そういう方々の多くは自ら考えて行動していない、それを理解していない、あるいはあきらめてしまっているのだと私は考えます。そのような方々を否定するつもりはありませんが、残念には思います。
内容にもよりますが、自ら考え行動する場合、それをしない人より得るものも大きい分、苦労や失敗があったりとリスクも高くなります。それが嫌で行動しない、できないという人も多くいますし理解できなくもありません。
それでも、その目的が“自らの成長”であるならば・・・・どうでしょう。

成長することで見える景色は変わります。どんな景色かはどれだけ成長したかによっても違います。
これから関わっていく研修等の中で、違う景色を見てみたいという意欲ある方々にどれだけ出会えるかを楽しみつつ、自分にどのような応援ができるのかを考え、取り組んでいきたいと思います。

森林・林業に係る研修事業に長く取り組んでいると、時代とともに研修生の学びに対する姿勢に変化があることに気づかされます。研修事業に取り組みはじめた20程年前にもSNSはあったものの、今のように情報があふれている時代でもなく、スピードも遅く、またユーザーもSNSが無ければ何もやっていけないなんて思っている人はほとんどいなかったと記憶しています。ですので、研修等の中で参加者同士で考えるワークショップ等を実施しても、みな自分の頭の中で考えて、それを共有・議論・整理し物事の解決にあたっていました。そうすることで自分で考えることとはどういうことなのかということを学んでいたと思います。

ところが先日、『持続可能な林業経営とは?』というテーマでワークショップを実施したところ、いきなりスマホを出し、テーマそのものを検索しはじめ、出てきた内容をそのまま文字として並べている人に出くわしました。
ワークショップは研修後半のプログラムになっており、前半では様々な講師や実践者の講義、事例報告等を聞いて、それらを参考に「自分たちで考え、こうと思うことを話し合って整理してください!」と提示したにも関わらずいきなりのスマホで検索です。
研修の対象者は林業事業体の経営候補者、中堅、あるいはそれ以上の管理職にあたる方々です。年齢も50歳くらいだと思います。その方は、もしかしたら自分の意志で研修に参加したのではなく、所属する事業体の上司から「行ってこい!」と言われてきただけの方なのかもしれませんが、仮にそうであったとしても・・・・、正直愕然とさせられました。
普段から持続可能な林業経営なんてことを考えていないのか、面倒だったのか、あるいはその時間をこなすための無難な正解を見つけるためにスマホで検索したのでしょうか。
自分で考え、それを整理することのプロセスとその重要性を学ぶための研修であるのにとても残念です。
過去にもあったのですが、そういう方にどうしてそのようなことをしたのかと真意を問うと、「業務の中で、いざ本当に自分で考える必要性が出てきたらきちんとやるつもり」といった返事をしてきます。でも、普段から物事を自分で考え、それを他者と議論しながら考えをまとめる(明文化する)訓練をしていない人がいざとなった時にできるかと言えば、できるはずもないというのが私の考えです。偉そうに言うつもりはありませんが、プランナーという仕事を何十年もやってきたので分かるのです。
それでも、近い将来チャットGPT等が人に代わって答えを考えてくれるようになり、それを使えばよいと言う方もいるかもしれません。確かに、人に代わって考えてくれるツールができるとある意味便利かもしれません。それでも、その考えが正しいのか否かを判断するのはやはり人です。人に考える力が無ければ正しい判断はくだせません。それが経営的なことであればなおさらです。
やはり人には自分で考え、検証し、まとめるという力をつけるために、そのプロセスを何度も繰り返し訓練することが必要だと思います。

研修時にテーマを検索していた研修生は何の悪気も無く、普段やっているようにそうしただけなのでしょう。時代がそうさせているのかもしれません。
ただ私たちは、便利だと思って使っているものが私たちをなまけさせ、判断力や決断力、さらには新たな未来を築くための創造力を持たない生物に退化させるかもしれないと疑ってかかることも重要だと思っています。特にSNSの使い方には注意が必要です。
これから取り組む研修等の中では、「本研修は自らで考えて、答えを導き出しまとめる研修を目的としています。SNS等で他人の答えを検索するのは禁止です!」と言わなければならなくなるのでしょうか。
そうならないことを願うばかりです。
先般、久々に新宿伊勢丹のデパ地下に行ってきました。もともと人込みが好きではなく、またここ数年はコロナ禍ということもあって行く機会は減っていたのですが、日本屈指の大人気デパ地下の一つである伊勢丹新宿店に行けば一定層の食のトレンドを掴むことができます。
私自身はさほど食に関心があるわけではないのですが、かつてのマーケッティングプランナー時代の癖とでも言えばよいのでしょうか、やはり流行りものには関心があり、時々人やモノ観察に出かけます。
訪れたのは日曜日の11時頃、デパ地下の人気店舗の前には既に長蛇の列。ただ何となくその列にはこれまでと異なる違和感がありました。そう、どの人気店でも行列に並んでいるのは老若男女、年齢も性別もまちまちです。かつては女性だけが並びそうなスイーツ店に、おじさん達がこぞって並んでいます。おじさんたちが購入している商品もお一人様1〜2点が多く、購入後はとてもうれしそうで、家族に頼まれたので買った?というわけではなさそうです。スイーツ店に列をつくるのは女子というこれまでの私の概念はとっくに時代遅れになっているようです。
次に行ったのは1階の化粧品売り場。各ブランドショップのビューティアドバイザーからメイクやスキンケアのカウンセリングを受けている方々がたくさんいます。またしてもそこで違和感が・・・。
よく見るとカウンセリングを受けている方の中に数名の若い男性の姿がありました。皆さんヒヤカシや遊びではないようで、真剣にメイクやスキンケアの方法を学んでいました。
その光景には驚いたというよりかは、「そうか、やはりそういう時代なのか」というおじさんにとってはあきらめの感覚と言った方が正しいかもしれません。
その後、ランチで入ったとんかつ屋さんでも、お一人さん女子がカウンター席でビールジョッキを片手にとんかつをおいしそうに食していました。それにはもはや違和感ではなく共感、あるいはうらやましさまで感じてしまいました。

このような光景はもはやどこでも見られ、今やもう年齢や性別で価値観や嗜好、行動等をセグメントできる時代ではなくなってきています。他人に迷惑をかけるわけでもなく、他人の目を気にせず自分のしたいことをする、食べたいものを食べるという自己実現に対して、年齢や性別問わず多くの方が共感、承認するようになっているのです。
特に都会では、ごく限られた人以外の他者への関心が薄く、年齢や性別に縛られない価値観や嗜好等の多様性を認め合わなければ自分が生きづらくなってしまいます。逆に考えれば、それぞれの多様性を一定程度共感、享受することで、自己実現や自己満足がしやすくなるのだと思います。だから若い人たちが都会に出たがる傾向が高いのだと思います。都会に出れば地域や過去のしがらみから逃れられ、自分をリセットできるような気がしますから・・・・。
もちろん、すべての日本人がそのような思考、傾向になっているわけではありませんが、ただ、これまでのように年齢や性別を重視して何かを括り、評価したり施策を講じたりしても大きな意味を成さなくなってきている、そういう方向に向かっているのは事実と思います。それは都市部に限らず地方においても同様です。
これからの時代は、年齢(積み重ねた経験等も含む)や性別は参考にしながらも、それ以上に多様な価値観や嗜好、個性を尊重し、それらを社会の中に取り込んでいくこと、機能させていくことが大切になってくるのではないでしょうか。